誕生日

院長の戸谷です。

先日スタッフの歓迎会&誕生会を行いました。パートさんの一人が誕生日を迎え、ケーキを前に

その1コマ。家庭に仕事に充実されているのでしょう。仕事場では、いつも生き生きお若いです。

まあ、年齢はある程度くると「誕生日がくるのが…」という気持ちになる事も

わからなくはないのですが、誕生日はやはり喜ばしい事です。

友人が「ヘッセからの手紙(ヘルマン・ヘッセ著 毎日新聞社)」から、ある文章を私にプレゼントしてくれた事があります。

この中でも特に印象に残っているもの。要約になりますが…、

「人が自分の人生を正当化したいと望む場合、その人が自分の本性、つまり生まれながらにして授かったものを、自分が生きて行動する中で可能な限り完全かつ純粋に表すこと、それがまさに重要なのだ…略…数知れぬ誘惑が絶えず我々をこの道から逸らせる。しかしすべての誘惑の中で最も強いのは、本当は現在の自分とは全く別の者になりたいと思うこと、到達できないし、また決して到達すべきでもない模範や理想に従うことだ。この誘惑は、一見高貴で道徳的に見えるために、かなり高い天分のある人にとっては特に強いものであり、単なる利己主義のもつ卑俗な危険以上に危険だ。」

「どんな少年だってある年齢で、一度は機関士やドン・ファンのような人物になろうとしたものだ。これは自然なことで、人間の自然な発育と自己陶冶にはやはり欠かせないものだ。いわば想像力で未来に対しての可能性を探っているのだ。しかし現実の人生でこれらの望みは適えられず、子供や少年の理想はおのずと消え去っていく。それにもかかわらず、自分にふさわしくないものを繰り返し望み、また自分自身の本性に対してそれを無理やり歪めるような要求をして苦しむ。  我々は誰も皆こんな風なのだ。しかし、ときおり心が目覚める時には我々の中から外へ出て何か別のものに到る道はないこと、自分自身の全く個人的な才能と欠点をもちながら、人生を歩んで行かねばならないことを何度も繰り返し感じる。そうなれば、自分がほんの少し前進し、以前できなかったことがうまく行き、一瞬の間何の疑いもなく自分自身を肯定して自分自身に満足できるような事も時には起こるようになるだろう。もちろん、こんなことは長く続きはしない。しかしそれでも我々の心の中の最も内部にあるものは、自分自身に気づくこと以外の何も目指していないのだ。…」

その人が生まれてきた事には、必ず意味があります。

誕生日、おめでとう。